ROAD TO DEBUT
遠くて近い! 近くて遠い!
先輩アーティストに聞いたデビューへの道のり
Interview:REVALCY(リヴァルシィ)
幼少期から自然と2人でハーモニーをつけていたというボーカルコンビネーションが魅力の、兄Takeshi、弟Takumiによるツインデュオグループ。グループ名は、“表裏一体”のイメージで、reversi(リバーシ)を変形させた造語。ルーツであるR&Bをベースにしながらも、ロック、ダンスミュージック等、様々なジャンルを自由に横断しながら繰り出される限りなく伸びのある歌声と、変幻自在にメロディとコーラスを2人が自由に行き来する絶妙なコーラスワークには定評があり、新人ながら大いに注目を集めている2人組。2014年11月にTVアニメ『まじっく快斗1412』エンディングテーマ「WHITE of CRIME」でメジャーデビュー。2015年8月リリースの2nd Single「EXIT」は、TVアニメ「デュラララ!!×2 転」のエンディングテーマ。2月17日には渋谷TAKE OFF7にて、小川智之氏が率いる音楽ユニット・SPECOCOとのスペシャルコラボレーションライブが開催されます! コーラスワークに精通した2人へのインタビューは、ソニトレ受講生にとっても参考になるさまざまな練習方法やアドバイスが詰まっています。全4回に分けてお届けします! それでは、まず第1回スタート!
第1回 物心ついたときにはハモって歌い「心を込めて歌え」と言われる幼稚園生だった?!
-歌を歌い始めたのはいつ頃からでしたか?
☆ Takumi(弟、以下略)明確な記憶はないのですが、物心がついたときから歌っていたと思います。かなり音楽好きな家族で、いつもいろいろな音楽が周囲に流れていました。当時流行っていたJPOPやアニメソングだけじゃなく何でもありました。両親が好きだったブラックミュージックを中心にした洋楽も多かったので、スティーヴィー・ワンダーやマイケル・ジャクソンといったアーティストの曲も自然に口づさんで育ちました。お風呂では、兄弟2人で歌っていたので、気が付けば自然にお互いにハモり合うようになっていました。それが最初でしょうか。
Takeshi(兄、以下略))メイン(メロディ)とハーモニーをどっちがやるとか、取り合って歌っていました。ひとりが歌うと勝手にハモっていくような感じでしたね。ピアノなどの楽器もほとんどやっていなかったのですが、歌については自然に身についていました。 メインだけではなく、昔からコーラスパートも勝手に耳に入ってくる感じで、全部覚えて、全部歌っていました。ファルセット(裏声)の使い方のようなものも含めて、いろいろな声の出し方を自然に覚えていました。
-歌うことに関して、ご両親などから教えてもらったり、何かアドバイスしてもらったりしていたのですか?
☆ Takeshi 歌については、小さい頃から、めちゃくちゃ厳しいアドバイスがありました(笑)。 両親もそうでしたが、親戚を含め近くにいた大人たち全員が、ジャンルを問わず歌が大好きな人たちばかりで、ブラックミュージックから演歌まで、いつも身近に歌がありました。月に1度、親類が集まって食事とカラオケをするという会が恒例で開催されていて、参加者全員が歌うことになっていました。小学生の頃から参加していて、自分たちも毎回必ず歌っていました。10人ほどで、両親も含めて、祖父母、叔父叔母、従兄たち全員が事前に決めてあった曲を歌って競い合っていました。その会で歌うときは、ちょっとした真剣勝負のような雰囲気で、その日のために練習してきてカラオケの点数を競い合う、ある意味“戦い”のような場でした。
Takumi 歌好きの人たちが集まっていたので、それぞれからいろんなことを言われました。おじいちゃんは石原裕次郎さんなどを歌ったりする“流し”のような演歌歌手。おばあちゃんはスナックを経営していていつも歌っているような人だったし、父親はフォークソングや洋楽が大好きで、かぐや姫やアースウィンドアンドファイヤーなどをいつも聴かせてくれました。そんな具合に、土俵は違うのですが、みんながみんな音楽好きで、ひとこと言いたい人に囲まれていつも歌っていました。
Takeshi 「心がこもってないんだよ」「もうちょっと感情入れて歌ってごらん」「そこハモり間違ってないか」とか、幼稚園生や小学生のときから、既に、いつも周囲からめちゃくちゃチェックが入っていました(笑)。最初の先生と言えるのは、この場に居た人たちだったようなものです。いろんなジャンルのものをそこで聞いて学んで、いろいろと影響を受けていました。それが最初に受けた指導だったのだと思います。
-ほかにどんなことを言われたか覚えていますか?
☆Takumi よく“棒歌”って言われました。心がこもっていないからもっと、抑揚をつけてとか色々言われましたね。(笑)
Takeshi 演歌を歌っている人が多かったので、こぶし的なものを教えてもらったりしました。それは、ブラックミュージックの“フェイク”の技術に通ずるところがあり、意識するようになってから、大好きでずっと反復練習したりしていましたね。
-そのころは練習はどうやっていたのですか
☆ Takumi お風呂でもやりましたが、自分の部屋のスピーカーでそれをひたすら流しながら、大声で歌っていました。それぞれの部屋で、それぞれに張り合うように歌っていましたので、隣近所にも聞こえていたと思います。相当うるさかったと思いますよ。(笑)
-月1回みんなの前で歌うとなると、どういうふうに歌うのか目標もはっきりしてくるような気がしますね。
☆そうなんです。毎回、次に何をどう歌うのか意識していました。しかも結果として、(カラオケ屋さんの)点数が表示されるので、それも大変なことでした。1位が取れなくて成績がよろしくないと、周囲から怒られるんです(笑)。「点数低くないか!」って言われてしまいます。常に、スパルタでなんでも1位を目指せって言われていました。
-2人はライバル?
☆ Takeshi 常に、1位を目指せと言われていたので、お互いに「負けたくない」という気持ちはあったと思います。
-例えば、どんな曲を歌っていたのですか?ハーモニーを付けて歌っていたのですか?
☆ Takeshi 中学生の頃で言えば、洋楽だったら、ボーイズ II メン の「End of The Road (エンドオブザロード)」を歌ったときに、父親からはじめて「いいよ、きれいだよ」って、ほめられました。それは、よく覚えています。
Takumi 当時テレビのスカパーで「キテレツ大百科」が再放送されているのを見て歌を覚えたアニソンで、「はじめてのチュウ」も思い出深い曲です。独自のハモを自分たちでつくって歌いました。オリジナルの真似ではなく、歌いながら自然につくっていきました。
-曲を選ぶときのポイントはどんな点でしたか?
☆ Takeshi そのころは深く考えていたというわけではなく、単純に聞いていて気持ちいい曲、歌っていて気持ちいい曲という視点で選んでいました。それが結果的によかったのだと思います。
-そのころのことで、今、役だっていることはどんなことですか?
☆ Takeshi 歌の技術的なことはもちろん日々いろんなことがありましたが、それとは別に、歌ではないことで、バスケットボール(以下バスケ)をやっていたことで、印象深いことがありました。小学校5年生からバスケをやっていて、小学校6年生のときに東京大会で優勝し、その1週間後の関東大会1回戦の前日に、ガリガリに細くなっていた当時の体調を心配した父親に、「身体を壊すから、大事をとれ」と言われて、バスケを続けることを断念させられたんです。スタメンだったし、チームメイトからも期待されていて、自分はやりたかったのですが、父親や親類からは止められました。しばらくバスケができない状況が続きました。中学生になって再開できて、そこからまた活躍できるようになったのですが、そのときに、「辛いことを乗り越えていく」という悔しい気持ちを次の力に繋げていくことが大切なんだということを学びました。辛いのを乗り越えていくことが愉しくなる体質になったというか(笑)、エネルギーに変えられるようになったのです。だから、今、音楽に取り組んでいるときでも、たとえ結果がすぐうまくいかなかったとしても、頑張れる気がしています。そのころの「挑戦していく気持ち」、そういう経験が今になって、かなり役立っていると思っています。
-音楽にまつわることでは、辛いことを乗り越えることはどんなことでしたか?
☆ Takeshi やっぱりランキングにはこだわりがあります。1位じゃなければいけないというのが、頭に刷り込まれているので、どうしても1位を取りたいわけです。結果がでなかったりすると、やっぱり悔しい気持ちは大いにありますね。
Takumi 「1位を取らなければいけない」という小さい頃からの家庭の“教え”(?!)がありましたので、自分自身を追い込んで、乗り越えていくハングリーな精神が培われたのではないかと思っています。
Takeshi 父親だけじゃなく、親戚含めて小さい頃周囲にいた全員、ひとりひとりが負けず嫌いな人間の集まりだったので、その中では、そういう教育が主流で、でもそれはすごくいい環境だったなと、今になって思っています。
(第1回おわり)